とんかつ三の歩み
感謝
東京の中心地、千代田区。そこを行き交う種々雑多な人々。多くの飲食店がひしめき合う外食激戦区でもある神田で、とんかつ三は広告など一切出さず口コミだけで2023年7月に開店10周年を迎えた。
店主の鈴木髙久(たかひさ)は何度も感謝の言葉を口にする。
「今日までがんばってこれたのは、神田の皆さんが支えてくれたお陰です」と。
はじめは、とんかつ
とんかつ三は普通に歩いたら絶対通りがかることのない裏路地に位置する。以前はシルクの反物工場という神田的にも十分ディープな場所だ。
そんな近所からの客が絶えないカウンターで調理接客する店主はよく地元の人間だと思われるが、じつは出身は千葉県市原市。
幼少の頃から絵が得意で、よく受賞していたので友人からは絵の道に入ると思われていたほど。(後に開業した自店舗では、その色彩感覚を生かした宴会料理でお客様から好評を博した。)高校を卒業する際、ひょんなご縁で叔母が川崎で営む店を手伝うことになり、そこが板前人生の出発点となった。
とんかつ屋だった。
うなぎの修行
三年後、店主は鰻の名店としてしられる神田菊川で修行を始めた。そのきっかけも叔母だった。
神田には様々な専門店街があり、繊維問屋街もその一つ。当時、叔母の夫は問屋街にYシャツを卸していたので、彼に連れられ神田の人気店を知ることになる。中でもうなぎなら美味しいのは菊川と聞き、口伝てを辿って菊川でうなぎ料理を一から学べるようになった。
その後、叔母が読売ランドに出店したので、一階の和食屋で板前として腕を振うだけでなく、二階の喫茶店でも活躍した。うなぎ料理、とんかつ、和食、コーヒーとメニューも幅広かった。常連には近所の雀荘や巨人軍の寮もあり、毎週土曜になると日テレの生田スタジオにはかつ重200個届けていた。
日の出
昭和54年、店主はついに自分の店「大陽」を開業。鰻とトンカツをメインとする和食処だった。
場所は実家のある千葉県市原市にし、店名は強く輝くような勢いのある名前にしたかったので、太陽に決めた。父親から画数のアドバイスをもらい、最終的に縁起のいい「大」にした。同年に結婚した妻と一緒に経営しながら、大陽は順調に客数をのばし、地元では評判の店となった。
しかし一回きりの人生なら、東京で勝負してみたいという想いがつのり、悩んだ末に11年続いた千葉の店を閉め、東京での出店を決意した。
縁
つねに家族と地元のファンに支えられてきた店主は、日頃からお得意さんに喜んでもらえる店作りを理想としていた。
雰囲気のよい店を神楽坂のような立地でと探していたが、条件を満たす物件はでてこない。内覧を重ねた回数は30件以上だったと店主は振り返る。
一年後。
偶然に立ち寄った不動産屋から紹介されたのが現在の場所。人通りが悪く、しかも以前はシルクの反物工場だったので、調理用の設備が何もなく、改装費がかさむことは必至だった。その場所での開業希望者が既に3組いたそうだが、全員が断るような悪条件だった。
ところが出店してみると、「江戸っ子じゃないよ。神田っ子だよ。」という、神田の義理人情に熱い人々におおいに助けられることになる。
近所の職人さんたちや、古くからの町会の人々に暖かく迎えられ、、最近では海外客からも隠れた名店としてリピーターが訪れるようになっている。
職人気質
東京に出店する際に精肉店との繋がりはなかったが、そこでも良縁に恵まれた。
精肉市場の専務から東北のある高級豚肉を紹介された。一般的なとんかつ店は精肉店が選んだ限られた豚肉から料理を提供しているが、店主は中間業者を介さず、自ら芝浦の食肉市場から仕入れている。
同じ種類の豚でも、一頭ずつ「顔」が違うので、まずは捌かれる前の豚を選ぶ。そして捌かれた部位と量を指定買いする。そうすることで「俺がこの肉を食べたいと思ったものだけ」を客に味わってもらうことが可能になる。
このような妥協ない姿勢は今に始まったことではなく、18で料理の道に入った時からだという。
それがとんかつ三の忘れられない味につながっている。店主の職人としての想いは言葉を超えて伝わるのか、英語メニューがないのにも関わらず、海外客も増えている。とんかつ三の味に惚れ込んだフランス人のガイドもその一人だ。
だが長男の規郎(のりお)さん曰く、千葉でお店をやっていた頃のお客様が、「小さかった頃から食べてます。」と月一で来店してくれるのはやはり格別のよろこびだ。
原点回帰
ちなみにとんかつ三でかつ重を注文すると、瓢箪型の重箱ででてくる。
おそらく他店ではお目にかかれない品で、カツ重ではなく「ひょうたんある?」と注文するお客さんさえいる。
じつはこれは店主が叔母の店で瀬戸物屋に注文した50年以上前のもの。今ではどんな調理道具でも揃うという河童橋でさえも金型がないので手に入らない。
同じくとんかつ皿も半世紀前に30枚注文されたものだが、まだ一枚も割れていない。
時代が変われば、場所柄や客層も変わっていく。とんかつ三が神田に出店しすでに10年。店主が料理を志してから56年。
しかし原点であるとんかつと客への想いは、これからも変わらないはずだ。
2023年12月更新
とんかつ三
〒101-0046 東京都千代田区神田多町2−1−9(神田駅から222m)
営業時間 昼 11:00 − 14:30、夜 17:00 − 21:00
定休 毎週日曜日
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